キノコ最前線 クオリア日記編

キノコの時間

とにかく、脳と手足の動きとしては、
「次はこれ、次はこれ」
と畳みかけるように様々なことを
やり続けていた休日の一日。

階段を下りている時に、
ふと、「キノコの時間」という
メタファーが脈絡なく浮かんだ。
「これだよ、これ!」
と至福感のようなものがじわーっと
広がっていった。

発想というものは本当に不思議なもので、
瞬間的にどこからともなく現れ、
そしてその直後にはそれが良きものであるという
確信がすでに成立している。

もちろん、「どこからともなく」
と言っても、
実際には自然の中のものは全て連続しているから、
無意識の過程を含めれば必ず因果的な
連鎖の中にあるわけであるが、
その一部分しか表象しない意識から
見ると、あたかも不連続、あるいは
無から有が生まれたかごとくに
見える。

目が覚めた
あともしばらく布団の中でぬくぬくと
しているような時。
目の前にある綿毛をしげしげと
見て、
それが巨大な構造物であるかのように
想像してみたり。

あるいは、飛行機の中で、本を読むでも
なく、ノートを記すでもなく、
パソコンも広げず、
ただ目を閉じて想念の海に浮かんでいる
ような状態。

そのような時間が、階段で稲妻のごとく
ひらめいた「キノコの時間」であった。

「キノコの時間」とは何か?
つまり、それは、「分解する」時間である。

生産者、消費者に対して、分解者
が存在するということを昔学校の授業で
習った記憶があろう。

キノコは、他の生物が創り出した
物質を分解して、また土に返して
いく上で重要な働きをする。
またそのことで、自分の生命活動を
支えている。

人間の生活の中にも、「生産」する現場も、
「消費」する現場もあるが、同時に
「分解」するというプロセスも大事である。

体験したこと、
感じたこと、思ったことを反芻し、
解きほぐし、尖ったところがあれば
覆い、結びつけ、ちりちりと刺す要素を
丸め込み、硬いものをやわらかくし、
やがて無意識の海へと沈めていくような
プロセス。

昼間のうちに何かエキサイティングな
ことがあり、その記憶でわくわくしているような
時に、
寝転がってしずかに反芻する。
そのような時間が「キノコの時間」である。

キノコは動かない。何もしない。だけれども、
背後では一生懸命分解している。
そのような時間のしみじみとした滋味、
豊かさに
忙しく立ち働いているうちに思い至り、
私は恍惚となったのである。

時にはキノコになろうと思う。

大学生の頃、「光合成」というメタファーも
好きだった。

何もせず、光を受けて、「光合成をしている」
という感覚が好きだった。

手を広げて、「今光合成をしているの」
というような時間の流れ。

光合成からキノコまで。そう考えると
随分存在のヴァイヴが広がっていく。

人間の中に静かに目に見えない作用があると
すれば、その植物的な部分は案外本質を
担っているように思われる。

人がひとを好きになる時には、
目に見える動きではなく、その植物的作用に
感応するようにも思うのである。

*随分前の茂木健一郎さんのブログ「クオリア日記より」より

だけどクオリアってどういう意味なのかよく解らないのですが、クオリアって響きがキレイですね。

「裏返し」の流儀

Toadstool
裏返しってことでこんな流儀があるのですって!
茂木健一郎さんの今日のブログより。

お風呂の話をしたいたら、となりにいた佐々木厚さんが、「茂木さんはねえ、旅行で、朝、下着がないことに気付くと、その場で洗うんですよ」と暴露した。「そうして、しぼって、濡れたまま履いてしまうんですよ。」

実際そうである。ぼくは、下着にせよ、靴下にせよ、前の日に着たのをそのまま履くよりは、せっけんでごしごし洗ってしまって、しぼって、そのまま履いてしまうことを好む。

ズボンや靴が少々濡れるが、歩き回っているうちにかわいてくる。そういうと人に驚かれるが、そっちの方が気持ちがいいのである。

そうしたら、白洲信哉の目が光った。

「なんでそんなことするんですか?」と信哉が言う。

「次の朝、履く下着がなかったら、裏返せばいいじゃないですか?」

「ん?!」

ぼくは、相手から思いもかけない言葉がでてきて、絶句した。

「裏返すって・・・それじゃあ、今度は表がキタナイじゃないか。それが、ズボンにとかに移ったりするじゃないか。」

「普通に履いていれば、そんなに汚くないですよ。」

どうも、白洲信哉は、「昨日おふろに入ったから、今日はおふろに入る日じゃない」と言ったり、自分のからだが基本的にきれいなもんだと思っている節がある。

「そうか、裏返すのか。それじゃあ、また次の日下着がなかったら、どうするの?」

「そんなもん、簡単ですよ。また裏返して履けばいいんじゃないですか。」

「でも、そうすると、もとに戻っちゃうよね。」

信哉は黙っている。

私はおかしくなってしまった。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」で、帽子屋がお茶会をしていて、「汚れたらどうするんだ」とアリスが聞いて、「隣りの席に移る」と帽子屋が言い、「それじゃあ、一周して元の席に戻ったらどうするのか?」とアリスが聞くと、帽子屋が「話題を変えようか」とごまかす。

あのユーモアある会話を思い出した。
 
そういえば、白洲信哉は、アリスが探検する「不思議の国」にいてもおかしくない雰囲気を漂わせているゾ。

ぼくはどうしても確認したくなって、改めて聞いた。

「靴下も同じ?」

「当たり前じゃないですか。裏返して履けばいんですよ。」

うーん。論理明快。しかし、なんだかヘンダ。

白洲信哉の「裏返し」の流儀。

世界は深い。私たちが思っているよりも、ずっとずっと深い。

ふふん~こういうのキノコ的!
裏の裏はただの表だったりして~♪こんなのあったような?