きのこ 森の妖精

この本の中できのこを撮影された藤澤寿さんは撮影後記の中でこんな風に書かれています。

目にも留まらず注目もされない名もないきのこ達を、なりふり構わず地面を這い廻って探し求めました。

それはそれは妖精のようにすぐ消えてしまいそうなきのこ達ばかりです、谷川さんの詩が添えられていてきのこ達を触るようにそっとそっと触れたくなるような本です。

ねずみのお話 1 シオドアとものいうきのこ他

この頃ねずみが気になって気になって仕方がありません、そしたらねずみが主人公のお話って素晴らしいものが多いんです、というかそのきのこが好きなお話なんですが。きのことねずみってとっても共通点が多いんです。それはおいおい・・・
まずはレオ・レオニ作の「シオドアとものいうきのこ」でもおなじみのねずみ!サブタイトルがどれも惹かれませんか?

えらくなりすぎた ねずみのはなし


こちらは、ちょっと かわった のねずみの はなし

こちらは、かめんに とりつかれた ねずみの はなし

どのお話も「・・・」不思議なかんじの終わり方がたまりません・・・かわいいだけじゃないんです。

もっと向こうへと

悪はあなたのもの
哀しみはあなたのもの
だが善と喜びもあなたのもの
そして濁りないこころも
 
清い泉も濁った泥水も
みなあなたのこころから湧いてくる
いま見えている世界はただのあぶく
ただの幻
世界をありのままに見るために
目覚めよう 間違った夢から

この世界のもっと向こうへと続く道がある
喜びとともにその道をたどろう

微細なエネルギー

dawn.
今日の毎日新聞に載っていました。
 

詩人の社会的役割とは何かという和合亮一さんの問いかけに、谷川俊太郎さんがこう答えている。
「非常に微細なエネルギーが人にある程度影響を与えるということを信ずるということじゃないでしょうか」
「非常に微細」「ある程度」といったこの慎ましい限定は、単なる謙虚の表明ではない。微力なものの力、微小であるがゆえの力といったものがあって、たぶんそれこそが詩の栄光なのだ。
〈・・・詩や詩人がもしも世の中の役に立つとしたら、ベストセラー小説みたいな売れ方をするとかではなくて、知らない間にその人にちょこっとでも何らかの作用を与えるかもしれない言葉を紡いでゆく、その微細な力を信じる、信じさせるということじゃないでしょうか〉

このね微細な力というものをイメージするのにきのこの胞子ってピッタリでしょう?
そのきのこ信じてます、微細なものの力を、そして微細なものこそが一番かっこいいってことを!

笑い茸

Pholiota adiposa

(友藤 二十四歳)
最近、大昔の人間はどんなことで笑っていたのか?
ということが気になっています。
谷川俊太郎さん、大昔の人間は
どんなことで笑い合っていたと思いますか?
(谷川さんの答)
赤ん坊が声をあげて笑ったら、
大昔の人間も笑ったと思います。
祭儀かなんかで、
アメノウズメミコトみたいな人が、
ワイセツな踊りを踊ったら
みんな笑ったと思います。
うっかり笑い茸を食べてしまって、
笑いが止まらなくなった人を見ても、
みんな笑ったのではないでしょうか。
(谷川俊太郎の質問箱より)

森へ

Roridomyces roridus

読む人の眼は
うごめく文字の森に分け入って行く
読む人の耳は
ページに降るひそやかな雨音を聞く
読む人の口は
なかば開かれ言葉を失い
読む人の指は
気づかずに主人公の腕をつかんでいる
読む人の足は
帰ろうとして物語の迷路に迷い
読む人の心はいつしか見えない地平を越える

続・アリスのきのこ

先日(1月10日)アリスのきのこというタイトルで詩を引用したのですが、ご質問を頂いたので紹介します。そのきのこの大好きな写真集、沢渡朔さん撮影の少女アリスより谷川俊太郎さんの詩を引用しました。不思議なことに、きのこを好きになってから谷川さんの詩が響くようになったというか、目にとまるようになったのです。ちなみにあおも谷川さんの詩なんです。きのこを好きになってから響くことが増えました。

あお

IMG_2131

よるのやみにほろぶあおは
あさのひかりによみがえるあお
あおのかなたにすけているいろはなにか

うみのふかみににごってくあおは

そらのたかみにすみわたるあお
あおのふるさとはなにか
こくうをめざせばそらのあおはきえる

てのひらにすくえばうみのあおはすきとおる
あおをもとめるのはめではない

かなしみのいろ あこがれのいろ
あおはわたしたちのたましいのいろ
わたしたちのすむこのほしのいろ

※直美きのこさんがソライロキノコを見て、この詩を思い出したということで載せさせてもらいました。