そ れは いつだったかしら?
の ん のん のん のん のん
き みょうな とびらが ひらいたの
の ん のん のん のん のん
こ のときからよ キノコのこえが きこえるようになったのは・・・
おわり
ちょうど16年前のあの夏も、今年と同じような猛暑が日本中を襲っていた。
あの日の夕方、熱帯夜続きのせいで寝不足気味のまま、寺院や墓地などが点在する坂の町をフラフラとあてもなく歩いていた。坂を半分ほど上ったところに、その喫茶店はあった。あまりの暑さに耐えきれず、その喫茶店の扉を押した。店に入ってすぐの、座りやすそうな椅子に座りながらアイスコーヒーを注文した。店内は冷え過ぎぐらいだったので急に気分がよくなり、店内を見渡すと、壁に飾ってある絵はがきに釘付けになった。それはキノコが輪になって生えている写真のようだった。マスターはアイスコーヒーを差し出しながら、「気になりますか?」と笑顔で聞いてきた。私はマスターのやけに愛想のいい笑顔に、これ以上話しかけられては大変と無愛想にハイとだけ答えた。マスターもそれを察してか、それ以上は話かけてこなかった。けれど妙なことに、キノコの輪の絵はがきが気になって何度も見入ってしまっていた。今にして思えば、キノコの輪に見入っている様子をマスターが見逃すはずがなかったのだ。
私がマスターに始めて出逢った日、それは同時にキノコ病患者との、はじめての出遭いの日でもあった。この日を境に、私の中の奇妙な扉が開きはじめることになるのである。当時、私はこの世にキノコ病というものがあることさえ知らなかったのだから。
冷えすぎた店内から眺めるガラス一枚外の世界では、百日紅のピンク色はいよいよ濃くて、空に浮かぶ入道雲は今にも動き出しそうなほど鮮やかで、絵はがきを見ているような、しらじらしい眺めだったこと、そしてその時、この光景をいつの日か思い出すであろうことを予感すらしていたのだった。
空を見上げると真っ黒な雲は早送りみたく流れていた。
違和感を覚えつつ思い切ってドアを開けるとそのきのこさんは、マスター寒かったでしょう?ごめんなさいと言った。私は断念してあっさり帰ってきたことをどう説明しようか考えていたところだったので内心その対応にほっとしていた。するとそのきのこさんは芝居ががった口調でこう言った。私がこの世界の隙間を探していること、’それ’を持って帰ってきたことを’それ’が気づいたらしい、とんでもないことをしてしまったんだと言い終わらないうちにカウンターに突っ伏してしまった。呆気にとられているとムクっと顔を上げ、私がコーヒーを入れてあげると言い、私の様子をいつも観察しているのか、それらしい淹れ方でコーヒーを注いだ、そのきのこさんの淹れたデタラメなコーヒーは意外にもおいしかった。
ふと私は’それ’をなぜか連想させる「隙間の時間」について話してみることにした。私が話終えるとそのきのこさんは「隙間の時間」と何度も繰り返した。しばらくして私も「隙間の時間」って呼んでいいと言った。
そのきのこさんは「隙間の時間」と嬉しそうに発音し、隙間の時間にだけこの世界は本当の本当の姿を見せてくれるのと言った。だから私たちは隙間の時間を探してしまうのと付け足した。
外は白い雪で覆われていた。雪の中を帰っていくそのきのこさんを見送り店を閉めた。小さな記憶は埋もれてしまうだけのことで、なくなってしまうわけではないのだと考えるようになっていた、全ての姿を見せてはくれないきのこに出逢ってからそんなことを考えるようにもなっていた。そのきのこさんの足跡にも雪は降り続きまわりと見分けがつかなくなっていた。
雪はいつもより明るくていつもより静かな夜をつれてきていた。
その日を境に、そのきのこさんが店を再び訪れるということはなかった。
そのきのこさんから渡された地図通り洞の大木はあった。私が入るにはその木の洞は小さいようにも思われた。私は緊張していたようで神社の石畳を歩いてみた、石を三つとばしに踏む、そうやって幾度か繰り返し歩いているうちに緊張はとけていった。私はとうとう木の洞に入ってみることにした。洞の中は思ったよりも大きくて木にもたれていれば人に見られることはないだろう。私は妙な居心地のよさを感じはじめていた。’それ’ってなんだろう?そのきのこさんがいつだったか’それ’について話をした時、私は幼い日のある体験を思い出していた、今ではすっかり見かけなくなったが、模様の施された硝子戸を、朝の支度をしている家族の物音を聞きながら、その結露した硝子戸の植物の模様を、目でグルグルとなぞる、まるで大きな大きな透明の膜に包まれているような不思議でたわいもない体験だ、この体験はそのきのこさんのいう’それ’をなぜか連想させた。最近では「きのこ」と聞くだけで、えもいわれぬおもしろさがこみあげてくる、それは私の中の巧妙につくられたからくり箪笥の奇妙な扉が開いてしまう予感によるものらしい、きのこに選ばれし者たちが、きのこの森から出ないのは、きのこが次々にびっくり箱を開けるのでついつい遊んでしまうだけのことだ。きのこの森から出られないのではなくて、出るのを忘れてしまうだけのことなんだ。そんなことを考えているうちに木の枯れた匂いが鼻をついたので、急に我にかえり私はいっこうにあっちの世界へは行けそうにないのと、あまりの寒さにあっさり断念して店に戻ることにした。
閉店中の看板をかけたドアのガラス戸越にそのきのこさんが見えた。なんだか妙な違和感を感じた、そのきのこさんは右手でスプーンを使ってる、たしか左利きの筈なのに・・・そう思った頃、私が思い出していた、たわいもない体験の事を幼いころ「隙間の時間」と勝手に一人で呼んでいたことを思い出した。なにかがまたひとつ繋がったような気がした。
空は怖いようなねずみ色で、雪が降るという天気予報はどうやら本当のようだった。
コーヒーの香りに包まれて湯気越しに眺める窓、特に冬の窓が好きだ。
そのきのこさんがやってきた。店に入るなりコートについた落ち葉をはらっている。なにをしたらこんなに落ち葉がつくのかと思っていると、急に温かい所に来たからなのかくしゃみをしだした。くしゃみがおさまると、嘘みたいな本当の話なんだと大袈裟に前置きし話し始めた。ここに来る神社を通る途中で、子供たちが枯れた大きな木の洞に入って遊んでいるのを見て閃いたのだと、そんなようなお話があったような気がして、木の洞こそがこの世界の隙間で、あっちの世界と繋がっているのだと確信したのだそうだ。それで子供たちが帰るのを待って木の洞の中に座っていたら行けてしまったんだ、あっちの世界にと言った。またそうだ、いつだってドラマチックである筈の場面であればあるほど、それはなにげなくなにげなく過ぎてゆくものだろうなんて思いながら、そのきのこさんの顔を見た。そのきのこさんの顔は真剣そのものだった。そのきのこさんは慎重にバックから小さな包みを取り出した。マスター私がずっと探してた’それ’がこれなんだと言い私を見た、その目は今から見せようとする’それ’というものに対して疑いがあるか否か一瞬にして判断したようだった。マスター見せてあげると言い、そのきのこさんは キノコ柄のハンカチをゆっくりとほどき始めた。私は息を止めて今度こそドラマチックにその時を迎えようと待った。そのきのこさんも緊張しているようだった。包みの中から、ガラスの瓶が見えた。私もそのきのこさんも瓶の中を見ていた、私にだけ見えないんだろうかと思いはじめた頃、そのきのこさんが言った、消えてる。と。そう言ったそのきのこさんの横顔は残念そうだった。しかし私は妙な高揚を覚えていた。
そのきのこさんはしばらく黙っていた。ふと’それ’はどこに行ってしまったんだろうと言った。私は’それ’はどんな感じのものなの?と聞いた。そのきのこさんはその質問が意外だったらしく、私の顔をじっと見たと思ったら急に睨みつけ、ああ!今の今のマスターの一言で全部全部忘れてしまったと言った。私はあまりの勢いになんだか悪いことをしたような気がして謝った。すると更に私はこう口走っていた。私もあっちの世界に行ってみたい、’それ’を今度は持って帰ってきてあげるよと言いながら、我ながら名案じゃないかと感心していた。そしてこんなことをさせてしまうのは、そうなんだキノコなんだ、キノコと出逢ってからの私は見えない糸のようなもので、ひっぱられているようなんだ。キノコの美しさに触れる度に、私は様様なものを思い出した、それはオトであったり、コトバであったり、一度だって思い出したりしたことのなかったものまでも。自分さえも忘れていた落し物をひろい集めるような作業で、その作業は森の奥深くに入っていくような不思議な高揚を伴った。私は春、夏、秋、冬と四つの季節をやっと今一巡りしたような気がしてならなかった。同時にそのきのこさんが言っていた、キノコと出逢うことがプログラムされていたという言葉を何度も何度も思い出した。
そのきのこさんの手書きの地図とキノコ柄の包みを手に神社の木々を見上げた、あたりに人はおらず私は大きく大きく深呼吸して木の洞を目指した。
きのこは私の日常生活にも意外な変化をもたらした。きのこの魅力を知ってしまった私は選ばれた者であるという自信が、ひどく私を愉快な気分にさせていた。きのこの視線で世界を見上げれば、この世界は断然おもしろい、この発見もまた私を更に有頂天にさせていた。
変化といえば、私は何かを選択する時、迷うという事が殆どなかった。しかし選択する際、不思議な事が起こるようになっていた。これにしようと手に取るとコーヒーに浮かぶミルクのような渦巻きが回り始め、頭の中がグンニャリしてくる。ぼんやりした私が選んだものは、最初私が手にしたものからは真逆のものだった。以前の私なら絶対に選ばないものだった。しかしそうやって選んだモノ達は、予想もしなかった風を運んできた。その風は出会いやヒントを落としていった。時にその風は常識や思い込みを持ち去ったりもした。私はきのこのみせる不思議に完全に魅せられていた。人は時にトランプが裏返るように、人もまたひっくり返る事があるのかもしれない。いやひっくり返る。ひっくり返った方の私といえば、今までの私が最も嫌っていた事をうれしそうにやってのける、周りも驚いているが、一番私自身が驚いている。驚いてもいるが、やっぱり愉快この上ない。
そのきのこさんがやって来た。嬉しくて仕方ないといった風で、マスター私はとんでもない分解者を見逃していた、マスター私にどんな分解者か質問してくれと言った。私は言われるままに「どんな分解者ですか?」と質問した。そのきのこさんは、待ちきれない風で、「子供だ!子供!しかも言葉を話さない子ほど、すごい」と言った。すごいと言った声が裏返った。どういうことか聞いてみると、子供はこっちの世界に来て間もないから、とんでもなく前のことを覚えている、しかも子供は隙間を見つけては、あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしているんだ、子供の後についていけば、私だってあっちの世界に行けるかもしれないと言い、そのきのこさんは店の中を落ち着きなくグルグル歩きまわり、私の前まで来たかと思うと手を差し出した。どうやら握手を求めているようだった。握手したら満足したのかバタバタと帰って行った。
はじまりははじまりは いつだってうずまきなのだから
はじまりははじまりは いつだってうずまきなのだから
はじまりははじまりは いつだってうずまきなのだから
そのきのこさんは歌のようなものを口ずさんでいた。私もそのきのこさんが帰った後、口ずさんでみた。口ずさんでみてはじめて数年前流行していた歌謡曲の替え歌だった事に気付いた。
今日は急に鯛焼きが食べたくなって、行列に並んだ、行列は嫌いなのだがここの鯛焼きだけは並ぶことにしている。温かい鯛焼きを抱え12月の道を愛犬と店に戻った。
そのきのこさんは、なぞなぞのことなどすっかり忘れている様子で、バッグの中をごそごそさせながらやって来た。私は隙間にどんな意味があるのか聞いてみたくて、答えは隙間でしょと私の方から切り出した。そのきのこさんは鋭い目で私を睨み、人差し指を立ててシッーと言い私の言葉を制した。そして用心深くあたりをみまわし、隙間のことを話すのは今日限りだと言った。隙間と聞いて何を思い浮かべると質問してきた、私は咄嗟に「隙間家具」と言った。そのきのこさんはさっきよりも強く睨み、他にはと言った。「隙間から洩れる月明かり」 と答えたら、そのきのこさんは拍手した、マスターは分解者の中の分解者だと言いなにかメモをとっていた。
そのきのこさんは私たちの住むこの世界にはあちらこちらに隙間があって、その隙間に入ることができたら最高だと思わないかと聞いてきた、私はどう答えたものか分からず、なぜ言葉に出しちゃいけないのか逆に質問した。そのきのこさんはそんなことも分からないのかとういう顔でこう言った。隙間っていうものは,とてもなくなりやすいので、口に出しちゃいけない、口に出した途端、隙間は隙間でなくなってしまうから、運良く隙間をみつけることができても、そっとしておかなくてはいけない、でなければキノコが舞い降りてくれないからと言った。キノコは誰よりも隙間をみつけるのが上手で誰に見せるでもなくキノコの花を咲かせる、そして土の中で死骸や糞尿などを分解してくれる、そっとね、こんなかっこいいことってあるかと言った。「かっこいい」はそのきのこさんの中で最高の褒め言葉のようだった。同じようにキノコは人間にもそっと舞い降りて、きれいなキノコの花を咲かせる、分解もしてくれるし、幸せだって連れてくる、そして奇跡もと言った。タンスのうしろの隙間にも、一言も口に出せずにいたこと、誰にきいてもみつからない答えという心とコトバの隙間にも、あの時なくしてきてしまったなにか、置いてきてしまったなにか、忘れてしまったなにかっていう、心と時間の隙間にも、キノコは舞い降りてくれると言った。
隙間っていうのは、まだ見ぬ世界への入口で、キノコが生えるってことは入口が近いことを示してくれているんだと言った。分解者であるかどうかは隙間というものに対する意識で分かると言った。
そのきのこさんは急にヒソヒソ声になり、今から重要なことを言っておくと言った。さっき隙間家具と言ったが、世界はこの隙間を埋めてしまおうとしていると言いながら、バッグの中身をひっくり返した、私のバッグにさえ隙間はもうないんだと言い、隙間がなくなったらキノコが舞い降りる場所はなくなってしまう、そして人はいっぱいいっぱいになってしまう。もうすぐ飽和の時代がやって来る、事態は相当に深刻だ、急がなければと言い、空のバッグだけを持ち帰って行った。
私は十年前、なにもかもが早すぎる世の中に逆行したくてサラリーマンをやめ、喫茶店を始めたことが許されたような、なにかずっと飲み込めずにいたものがなにか形を変えてゆくような、溶けていくような感覚を覚えた。
どうやら私の元にもキノコは幸せを運んできてくれたらしかった。
私はそのきのこさんに知らせたかった。分解者のつくる輪ができたことを、そしてどうして分解者であることが分かったか聞いてみよう、そんなことを考えていた。
そのきのこさんは知ってか知らずか店にやってきた。輪ができたことを告げるとそのきのこさんはニッコリ笑った。
どこで分解者であるか分かったのか尋ねてみた、そのきのこさんは私の手元をじっと見つめた、どうも腕時計を見ているようだった、私の腕時計は放射線状に虹色に区切られている腕時計だった、旅行に行った際どうしても欲しくなって手に入れたものだ、そのきのこさんはゲラゲラ笑いだした、バレバレじゃないかと言って大笑いしている。虹のどこが分解者なのか聞いてみた、そのきのこさんは虹は、まだ見ぬ世界に行こうよって公言しているようなものだと笑いながら言った。訳が分からずポカンとしていると、この時計に吸い寄せられるように出遭えたでしょと言い、虹はミラクルアイテムのひとつだと言い、ミラクルアイテムのことをもう少し説明しておこうと言った。ミラクルアイテムは出遭えるようになっているもので、ミラクルアイテムと人間は互いに呼び合うようになっているので出遭えるんだ、人間にはこの響きあう感覚を誰でも持っているが、この感覚が一番強く残っているのが分解者なんだと誇らしげに言い、きのことミラクルアイテムには時間を戻す作用があるらしい、これは大発見だと言い、コーヒーを左手で回し始めた。左利きだからなのか調子が狂う、そのきのこさんはミルクをコーヒーにポトリと入れた、ミルクのつくるうずまきを見つめながら、きのこが世界の中心だと言った。前にもこんなことがあった様な気がした、時計とは反対にまわるうずまきをぼんやり眺めている私に向って、そのきのこさんはきのこが世界の中心だと3回繰り返した。
そのきのこさんは、急になぞなぞだと言って、たんすのうしろにもあって、本棚にもあって、スケジュールにもあるものなんだ?と言い、あっ!心細いとき迷っているときにもあるものなんだ?と付けたし帰って行った。 またまた私を惑わすつもりらしい、その手にはのらないぞと思いながら、いつしか答えを探しはじめていた。
店の後片付けを終え、電気を消した、店はいつもより明るかった、なぜだろうと窓の方を見ると月の明かりが、きっちり閉めたはずの戸の隙間から射していた、あっ!!!隙間だ、そうだ隙間だ、あまりにもすぐ答えが出たことに拍子抜けしながら、妙に明るい楕円形の月を眺めていた。だけど隙間がどうしたというんだろう???余計に気になってしまっている自分にもう笑うしかなかった。
この前のそのきのこさんとは別人のように、今日は何か言いたげに大きな荷物を抱え店に入ってきた。椅子に座るなり、マスターには分解者がどういうものか説明しておこうと言った。世間ではキノコ病と言っているがと付け足した。どうもそのきのこさんはキノコ病よりも分解者という言葉を気に入っているようだった。
新しい世界の入り口それはキノコとの出遭いの時、正確にはキノコは美しい、キノコが好きだと自覚できた時だと言い、分解者の好きなものは、分解者を中心にきれいな弧を描くのだと言う。キノコとの出遭いによって、今までバラバラに思えた自分の行動、例えば、壁に貼ったままの新聞の切抜きだとか、なぜか鮮明に覚えている言葉であるとか、くり返し聴いていた音楽なんかもそうで、それらは胞子のようだと言い、それらもまたキノコのように地下で菌糸が繋がっているように繋がっている、それぞれが意味を持ち色づき始める、それは胞子が、時間を経てキノコの花を咲かすにそっくりだと言う、自分の好きなものの輪の中心に立ってみると、今まで好きだと思っていたもの達はキノコを誘引するものであることが、そしてそれらがキノコの出現をいまかいまかと待ちわびていたことが分かる、完全にキノコと出遭うことがプログラムされていたことが分かると言うのだ。これを奇跡といわずにいられるかと、そのきのこさんは大声で言った。
急にそのきのこさんは小声になり、この分解者のつくる輪には、独特の癖のような法則があり、今一人で研究しているのだと言った。「ミラクルアイテム」を知っているかと聞いてきた、答える間もなく、ミラクルアイテムそれは私が考えた言葉なのだと自慢げに言い、ミラクルアイテムはキノコを誘引するアイテムのことで服装や身に着けているものといった、目に見えるアイテムの他に、見えないアイテムもあると言う、コトバ、オト、ニオイはキノコととっても仲良しなのだと言い、なにを隠そう、このミラクルアイテムを研究し、潜伏中の分解者を発見し、キノコの花を咲かせることこそが、そのきのこに託された使命なのでありますと言った時、そのきのこさんは椅子の上に立っていた。私は危ないので椅子に座るようにすすめるとそのきのこさんはみるみる不機嫌になった、渋々座ったそのきのこさんの機嫌をとろうとキノコ病は治るんですか?と質問したみた、そのきのこさんの顔にパッと赤味がさした。菌輪はフェアリーリングとも呼ばれていて妖精たちが踊った足跡といわれていて、その輪の中に入った人は出てはこれないのだと嬉しそうに言い残し、はずむような足取りで帰っていった。そのきのこさんは大きな荷物を置いていってしまった、その中には色とりどりのキャンディーやお菓子があふれんばかりに詰まっていた。
私は試してみたくなっていた、私がキノコ病である訳を。気に入っているレコードを並べてみた、それだけではおさまらず、仕事はそこそこに押入れの奥から、30年以上開けていなかったダンボール箱を引っぱり出し、幼少の頃のおもちゃや子供向けの雑誌や絵本などを夢中で探っていた。ふと部屋を見渡すとレコードやビー玉やコンパスや虫めがねなどで作られた弧の中に私は立っていた、窓の外には夕焼けみたいな赤い朝の空がひろがっていた。ひどく懐かしいような、うれしいようなこんなふうな赤い空をいつだったか見たことがあったような気がした。そしたら大きな欠伸がひとつ出た。
今日は3時過ぎに客が途切れた。愛犬と一緒に遅めの買出しに出かける。
大きな神社を抜けるのが私たちのお気に入りのコースだ。
私たちのお気に入りのベンチがある、大きな木の陰になってあまり目立たないので、いつだって私たちの指定席だ。
今日そのきのこさんがやってきた、一番カウンター奥の席に座った、なんだかいつもと様子が違ったような気がした。
今日は私のことを話してもいいですか?と聞いてきたので、私のキノコ病について聞いてみたかったが、いつものそのきのこさんではないような気がして、話を聞くことにした。そのきのこさんは珍しく、ゆっくりと話し始めた。私は小さな時から、探していたんです、探しているというよりは、失くしたものを探していたと言った方が近いのかもしれないと言った、電車の窓からも、人ごみの中でも、ずっと探していた。だけど探している’それ’は、何なのか分からないのだと、そして年々分からなくなってきていた、その’それ’は死ぬまで見つからないのかもしれないとも思っていたと言う、そして誰もが、それと似た感覚を持っているんだろうと思っていたと言う。そんな時、キノコとの出遭いによって、私がずっと探していると思っていた’それ’は、私が探しているんじゃなくて、’それ’が私を探してくれているってキノコが教えてくれたんです、とても大きな大きな力が働いていることを感じることができたのです。探すことやめたら、キノコが’それ’を指すヒントのようなものを、教えてくれるようになったのです。おかしな話でしょう?そう言って、そのきのこさんはうつむいた。こんな私にキノコがご褒美をくれたと言った。それは私に聞きとれないほどの、弱い小さな声だった。
どれくらいの時間だったのだろう、そのきのこさんは器用に左手でスプーンをクルクルとまわしてミルクを入れていた、私は夢でもみるように、ミルクがつくる渦巻きをずっと見ていた。