よく見かけることだが、天から遣わされた嵐やその他の災害によって、麦がすべて地面になぎ倒されたときに、道端の低い生け垣や灌木のわきに、ほんのひとにぎりの地面が損なわれずに残っていて、麦の穂がぽつぽつとまっすぐに立っていることがある。そのうちにお日さまが再びやさしく照りはじめると、それらの麦はひっそりと、誰にも気づかれずに成長をつづける。大きな貯蔵庫のために早々と鎌で刈りとられることはない。だが、秋も深まって麦の粒がたっぷりと稔ると、貧しい人々の手がそれらを探しにやってくる。そして穂に穂を重ね、ていねいに束ねる。それは冬の間じゅうの食べ物になるのだ。ひょっとすると、未来への唯一の種子になるかもしれない。
その昔、栄えたたくさんのものが、もうほとんど残っていなくて、それへの思い出さえもほとんど消えてしまったのに、民衆のあいだに、歌やいくつかの本、伝説、それにこれらの無邪気な家庭のメルヘェンだけが残っているのを見ると、わたしたちはそれと同じような思いにかられるのである。ストーブのまわり、台所のかまど、屋根裏部屋へ昇る階段、まだにぎわいのある祭日、静まりかえった牧場と森、なかんずく曇りのないファンタジーが生け垣となって、それらを守り、幾世代も通して伝えてきたのである。