そのとき私より

Fungi

そのときの私より幸福な子どもは、世界じゅうに一人もいなかったでしょう。私の頭は雲の世界にありました。足は空を歩いていました。部屋じゅうでおどりまわりたいのを、やっとがまんしておりました。じっさい、やがて、私の夢は実現することになりました。(・・・)考えてもごらんなさい。海をわたって、外国の土地をふみ、世界を漫遊することを。

快と不快のはざまで

fungi on tree
なんかいいタイトル思いついちゃったとか思ったんですけど、こういう映画ありましたね、あぁ思い出さなければ気分よかったのに。忘れてもいいことだけは覚えていられます。

キノコ最前線 福岡伸一編

今日のキノコ最前線は生物学者の福岡伸一さんです。そのきのこは福岡さんがテレビに出ておられるとジーっと見入ってしまます、この前ラジオで福岡さんが話されてて、ついつい音を大きくしてしまいました。なんでかわからないけれど非常に気になる方です。キノコ的ってなにかって考える上で非常に多くのヒントを含んでいる方のようです。

私は「美醜」を物事の判断基準にしています。真か偽か、善か悪か、いろんな基準がありますね。自然科学は真偽が絶対的基準と思われがちですが、科学的な真偽って実は流動的で、正しいと思われたものが間違いだったり異端の説が正論になった例は多数あります。道徳や倫理の善悪、正邪の基準も歴史軸や文化、宗教などでも変わってしまう。なのに科学的に真だから受け入れなさい、道徳的に善だから従いなさいと言いがちで、真偽、善悪などの基準は簡単に均質化圧力になります。美醜は違います。ルリボシカミキリを、フェルメールの絵を美しいと思うのは極めて個人的で何にも束縛されない。科学的成果を評価する時も、自分の生き方を決めるときも、私は「美しいもの」を選びたいと思います。

無意識に集めてしまうミー

最近無意識にミーのもの集めています、きのことミーってなにか共通点あるのかしら?このこのちょっと意地悪なかんじがたまらないのです。ちなみにそのきのこがきのこが大好きだとわかるまで、つまり潜伏期間は20年弱だったんです。なにかを集めだしたらこっちのものです、ふふん。
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小さな小さな体に頭のてっぺんでたまねぎ型にキリリと結い上げた女の子。あまりに小さくて裁縫用の小カゴにすっぽり体がはいるほど。こわいもの知らずでだれに対しても思ったことをずばずば言う。普段はムーミン屋敷に住んでいるが一人でいるのも好きなので勝手きままにあちこちで寝起きしている。怒るとかみつくこともある。
に髪の毛をある

いつもまゆにしわをよせているのでパッと見たところ老婆のような顔にも見えますが、小さな女の子です。ミイという名前はもともと「とても小さい」っていう意味からきているそうです。裁縫かごの中で眠ったり、コーヒーポットカバーをセーター代わりに着たりするぐらいのミニサイズです。けれど、体は小さくても気の強さは誰にも負けませんし、ムーミン谷きってのいたずら好きでもあります。

ムーミンの公式サイトより)