止むなき表現

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今世界65億の人口のうち、先進国に住んでいる人は4分の1、約16〜17億人です。残りの50億の人たちは、未だにエネルギーをほとんど使えない生活を強いられています。 そのなかでも特に11億の人たちは、「絶対的貧困」と国連が定義する状況に置かれています。1日に1ドル、つまり約120円以下しか使えない人が11億人いて、そのうち5億人は飢餓に直面しています。劣悪な衛生・健康状態のなかで、2〜3秒毎に子どもが死亡しているのです。

 未だに多くの人たちが飢えに苦しんでいるにも関わらず、私たちはそれを顧みることなくさらに大量のエネルギーを使って贅沢を享受する社会をつくろうとしているのです。この極めて差別的な世界を一体どうすればいいのでしょうか?

 宮澤賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はありえない」と記しました。私は「世界ぜんたい」とは、人間のみを指すのではないと思います。人間を含めたこの世界全体が幸せになることを、賢治さんは願っていたはずです。またそう考えなければ、この地球という星を守ることはできないところにまで私たちは追い詰められてしまったと思います。

 賢治さんは続けてこう記しています。「個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ」。

 たまたま原子力の世界に入ってしまった私は、なんとか原発を止めるために自分が持っている力を出し尽くします。みなさんも、それぞれが取り組んでいる場所で、それぞれの力を発揮してください。

 私たち誰もがそれぞれに「止むなき表現」をする場所があるはずです。

こちらより小出裕章さんお文章を引用させて頂きました。)

 蟻ときのこ

 歩哨は剣をかまへて、ぢつとそのまつしろな太い柱の、大きな屋根のある工事をにらみつけてゐます。
 それはだんだん大きくなるようです。だいいち輪郭のぼんやり白く光つてぶるぶるぶるぶる顫えてゐることでもわかります。
 俄かにぱつと暗くなり、そこらの苔はぐらぐらゆれ、蟻の歩哨は夢中で頭をかかへました。眼をひらいてまた見ますと、あのまつ白な建物は、柱が折れてすつかり引つくり返ってゐます。
 蟻の子供らが両方から帰ってきました。
「兵隊さん。溝はないそうだよ。あれはきのこというものだって。何でもないって。アルキル中佐はうんと笑ったよ。それからぼくをうんとほめたよ」
「あのね、すぐなくなるって。地図にいれなくてもいいつて。あんなもの地図に入れたり消したりしてゐたら、陸地測量部など百あつても足りないつて。おや!引つくりかえつてら」
「たつたいま倒れたんだ」。歩哨は少しきまり悪さうに云いました。
「なあんだ。あつ。あんなやつも出て来たぞ」
 向ふに魚の骨の形をした灰色のおかしなきのこが、とぼけたやうに光りながら。枝がついたり手が出たりだんだん地面からのびあがつて来ます。二疋の蟻の子供らは、それを指さして、笑つて笑つて笑ひます。