微細なエネルギー

dawn.
今日の毎日新聞に載っていました。
 

詩人の社会的役割とは何かという和合亮一さんの問いかけに、谷川俊太郎さんがこう答えている。
「非常に微細なエネルギーが人にある程度影響を与えるということを信ずるということじゃないでしょうか」
「非常に微細」「ある程度」といったこの慎ましい限定は、単なる謙虚の表明ではない。微力なものの力、微小であるがゆえの力といったものがあって、たぶんそれこそが詩の栄光なのだ。
〈・・・詩や詩人がもしも世の中の役に立つとしたら、ベストセラー小説みたいな売れ方をするとかではなくて、知らない間にその人にちょこっとでも何らかの作用を与えるかもしれない言葉を紡いでゆく、その微細な力を信じる、信じさせるということじゃないでしょうか〉

このね微細な力というものをイメージするのにきのこの胞子ってピッタリでしょう?
そのきのこ信じてます、微細なものの力を、そして微細なものこそが一番かっこいいってことを!

キノコ最前線 粘菌が描く路線図

plastic fungi
今日の新聞南方熊楠やナウシカでおなじみの粘菌の素晴らしい記事が載っていました!

脳を持たない単細胞生物の粘菌を関東地方の形をした寒天上で育てると、実在の鉄道路線に似たエサを輸送する経路を作った。

ですって!ですって!
これだけでなく

粘菌は、実在の鉄道路線より優れた経路を作ることもあった。

すごくないですか?
あ~どんな賢い人でさえ思いつかなかった経路を、いとも簡単に作ってしまうだなんて!

キノコ最前線 今日の毎日新聞の一面に

「うつくしやあらうつくしや毒きのこ」。信州出身の俳人・小林一茶が毒キノコのあやしい美をいくつも詠んでいたのを飯沢耕太郎さんの「きのこ文学大全」(平凡社出版)で教わった。「人をとる茸はたしてうつくしき」「化されな茸も紅を付て出た」
くれぐれも化かされぬよう用心の要るキノコ狩りだが、少し前に関西の山林でカエンタケという毒キノコが急増中というニュースを見かけた。火災を思わせる真っ赤な棒状のキノコで、枯木の根元などに生育するが、その猛毒ぶりがすごい。
3グラムも食べれば死ぬといわれ、専門家によると全身真っ赤になる炎症を起こす。触れただけで皮膚がただれる。見るからに毒々しいが、食用のベニギナタタケと間違えられたことがあった。新潟県や山形県などで中毒例があり死者も出た。
専門家が注目するのはカエンタケの発見例がミズナラやコナラが集団枯死する「ナラ枯れ」の発生地域に多いことだ。米粒ほどの甲虫が伝播する病原菌で起こるこのナラ枯れ、本州日本海側から各地へ急拡大する防除困難な森林被害である。
この話で頭に浮かぶのは宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」で有毒の瘴気を出す菌類と怪虫の森「腐海」だ。腐海は文明に汚染された土地に生じた人間を拒む生態系である。が、それは実は土地の毒を浄化する役を果たしていたのだ。
ナラ枯れ拡大の原因のひとつは人が薪炭を利用しなくなり、森の老木を放置するようになったからという。また温暖化の影響だという見方もある。文明のもたらす枯死の後に生える毒キノコは人に何を語りかけるのか。「天狗茸立けり魔所の入口に」。これも一茶だ。

そのきのこも一句詠んでみました。

きのこの輪ふと誘われし魔所の中