“キノコ最前線”に関する記事

キノコ最前線 縄文聖地巡礼編

2011/05/12

今この本読んでるんです、中沢新一さんと坂本龍一さんが十和田湖でナラタケの群生を発見して夢中でキノコ採りされるところとか、南方熊楠さんのお墓に行かれるところとか、ジョン・ケージのお話も出てきます!
非常にキノコ的!

キノコ最前線 スカラベ編

2011/04/11

我らがファーブルが、天才と称したスカラベ柄の布地の登場です!
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スカラベのサナギの美しさはたとえようもありません。そのととのった形といい、半透明でハチミツのような黄みをおびた色あいといい、コハクか、トパーズのような宝石を彫ってつくったかざりもののようです。ふんの玉の中で、ふんを食べて育ったのに、体には一点のよごれもありません。前肢は、スカラベの成虫がきゅうにショックをうけて死んだまねをしたときのように、両方ともぎょうぎよくそろえて胸の上におりたたんでいますし、あとでさやばねになる部分は、深いみぞをきざみこんだ帯のような形で前のほうにたたまれていて、背中やおなかの部分はむきだしのなっています。なんだか、麻布でぐるぐるまきにされたエジプトのミイラのような、神秘的なふんいきさえあります

キノコ最前線 デーブ・スペクター編

2011/03/16

すばらしい!デーブ・スペクターさんのツイートより

地震の被害に遭われた方に、心からお悔やみ申し上げます。いま、被災者を励まし、和ますツイートを一所懸命考えているところです。

とツイートされてから全速力です。
その中から素敵なのを3つほどご紹介しますね。

電気や燃料の無駄遣いをやめるため、まずは選挙への無駄な立候補をやめることを提案します(特に某都知事選)。

福島の皆さん、希望を持って!英語だと「Lucky Island」ですから!

低気圧にお願いです。被災者ではなく、原発を冷やして下さい。ボクも一所懸命、寒さを原子炉に送りますんで。

キノコ最前線 岸本佐知子編

2011/02/14


「きのこ文学大全」を読んでからというもの、小川洋子さんの本をよく手にするようになりました。そしたら新聞で小川洋子さんが岸本佐知子さん「気になる部分」の『ラプンツェル未遂事件』を紹介されていたんです。いてもたってもいられなくなって即注文しました。なぜなら『ラプンツェル』はそのきのこが子供の頃から大好きな特別な童話だったからです。夢中で読みました。そこでやっと気づきました。「きのこ文学大全」の「国際きのこ会館」のページを開け岸本佐知子さんの名前をドキドキしながら確認しました。「きのこ文学大全」の岸本佐知子さんは、「気になる部分」の岸本佐知子さんとなんと同じ方でいらしたのです。勘のいい方なら読む前に思いあたるのかもしれませんが、嬉しかったんです、きのこ作家さんだとは知らずに惹かれたということが、別にどっちだっていいんじゃないって思われるかもしれません。でもきのこ作家さんの作品だから惹かれるのと、惹かれた作品がきのこ作家さんの作品というのでは全然違いますからね。例えるならば、幼なじみとウルグアイでバッタリ遭遇するぐらいのありえない確率だっちゅうことです。とてもとても嬉しかったんです。

けれども、何かが気にかかっていた。心の奥に、何かこう、ひっかるものがある。私は子供の頃に読んでいた絵本「ラプンツェル」を本棚の隅からひっぱりだし、すばやくページをめくった。そこには・・・

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*一部いいえ、大部分「気になる部分」より引用させて頂きました。

*2月17日青山ブックセンターで行われる『きのこ文学名作選』刊行記念
 飯沢耕太郎×岸本佐知子 トークイベント
のこと考えたらもう嬉しくて嬉しくて。
雪で新幹線がどうぞ止まりませんように。

キノコ最前線 クオリア日記編

2011/02/02

キノコの時間

とにかく、脳と手足の動きとしては、
「次はこれ、次はこれ」
と畳みかけるように様々なことを
やり続けていた休日の一日。

階段を下りている時に、
ふと、「キノコの時間」という
メタファーが脈絡なく浮かんだ。
「これだよ、これ!」
と至福感のようなものがじわーっと
広がっていった。

発想というものは本当に不思議なもので、
瞬間的にどこからともなく現れ、
そしてその直後にはそれが良きものであるという
確信がすでに成立している。

もちろん、「どこからともなく」
と言っても、
実際には自然の中のものは全て連続しているから、
無意識の過程を含めれば必ず因果的な
連鎖の中にあるわけであるが、
その一部分しか表象しない意識から
見ると、あたかも不連続、あるいは
無から有が生まれたかごとくに
見える。

目が覚めた
あともしばらく布団の中でぬくぬくと
しているような時。
目の前にある綿毛をしげしげと
見て、
それが巨大な構造物であるかのように
想像してみたり。

あるいは、飛行機の中で、本を読むでも
なく、ノートを記すでもなく、
パソコンも広げず、
ただ目を閉じて想念の海に浮かんでいる
ような状態。

そのような時間が、階段で稲妻のごとく
ひらめいた「キノコの時間」であった。

「キノコの時間」とは何か?
つまり、それは、「分解する」時間である。

生産者、消費者に対して、分解者
が存在するということを昔学校の授業で
習った記憶があろう。

キノコは、他の生物が創り出した
物質を分解して、また土に返して
いく上で重要な働きをする。
またそのことで、自分の生命活動を
支えている。

人間の生活の中にも、「生産」する現場も、
「消費」する現場もあるが、同時に
「分解」するというプロセスも大事である。

体験したこと、
感じたこと、思ったことを反芻し、
解きほぐし、尖ったところがあれば
覆い、結びつけ、ちりちりと刺す要素を
丸め込み、硬いものをやわらかくし、
やがて無意識の海へと沈めていくような
プロセス。

昼間のうちに何かエキサイティングな
ことがあり、その記憶でわくわくしているような
時に、
寝転がってしずかに反芻する。
そのような時間が「キノコの時間」である。

キノコは動かない。何もしない。だけれども、
背後では一生懸命分解している。
そのような時間のしみじみとした滋味、
豊かさに
忙しく立ち働いているうちに思い至り、
私は恍惚となったのである。

時にはキノコになろうと思う。

大学生の頃、「光合成」というメタファーも
好きだった。

何もせず、光を受けて、「光合成をしている」
という感覚が好きだった。

手を広げて、「今光合成をしているの」
というような時間の流れ。

光合成からキノコまで。そう考えると
随分存在のヴァイヴが広がっていく。

人間の中に静かに目に見えない作用があると
すれば、その植物的な部分は案外本質を
担っているように思われる。

人がひとを好きになる時には、
目に見える動きではなく、その植物的作用に
感応するようにも思うのである。

*随分前の茂木健一郎さんのブログ「クオリア日記より」より

だけどクオリアってどういう意味なのかよく解らないのですが、クオリアって響きがキレイですね。

キノコ最前線 芸術新潮

2011/01/31

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ひろがる菌糸世界きのこアート研究所にようこそが掲載されているではありませんか!

キノコ最前線 昼の家、夜の家編

2011/01/26


文學界で紹介されていた「昼の家、夜の家」素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!

万物は常に流れ動いていて、人は生よりも死に近い。しかし、そんな世界を提示しながら、小説に暗さはなく、むしろ軽やかな雰囲気が漂う。それは、多様な世界や人間に対して向けられる、作家自身の優しい眼差しのためだろう。本作ではキノコが重要なモチーフになっているが、動物でも植物でもなく、死んだものの上に命を紡ぐこの菌類を、世界の曖昧さや多様性を認める、こうした寛大さのシンボルと捉えられるかもしれない。「(訳者あとがき)より」

表紙もとっても素敵です!

キノコ最前線 文學界二月号

2011/01/24

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あぁぁぁついに最終回がきてしまったのですね。
第14回はきのこ料理のレシピです、読んでしまうのが勿体ないと思いつつ誘惑に負けて読んでしまいました。
すごいすごい本が紹介されているではないですか!実はこれから読むんです。さてさて夜は更けてきましたので読書の時間とします。

キノコ最前線 キョンキョン編

2010/12/26

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見て下さい!やっぱりキョンキョンはきのこが大好きなんですね。
これは小泉今日子著「原宿百景」に載っていたんです。
その中で、キョンキョンがどうキノコ的かってね、見事に藤原ヒロシさんがこんな風に言われているんです。

小泉さんがラジオをやっていた頃って、今はめっきりなくなったサブカルチャーみたいのものがちょうどメジャーになる寸前だったでしょう。だからいちばん面白い時代だったんだよね。下から上がってきたマイノリティなサブカルチャーを、小泉さんがフックアップしてくれるっていう。そういう人って、他にいなかったから。

そ、そ、そうなんですよね!キョンキョンは水面下にあるものを、ほらねってヒョイっと掬い上げて拡散してくれる人なんです。それも絶妙のタイミングと分かりやすさで、これは菌類にだけみられる大きな特徴です。
ファッションや髪型やライフスタイルなど、めまぐるしいくらい変化されるキョンキョンはこの先も私達を驚かせてくれること間違いなしです。

キノコ最前線 文學界新年号

2010/12/19


新年号の文學界、飯沢耕太郎さんのきのこ文学の方へは泉鏡花と宮沢賢治ですって、あれ〜今年も残すところあとわずかですね。

つまり鏡花も賢治も、ある種のオブセッションのようにきのこのイメージに取り憑かれていたといえそうだ。彼らの作品を辿ることによって、日本の「きのこ文学」の大きな流れが見えてくるのではないだろうか。

むふふ。。。

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