きのこのフック

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素敵なきのこのフック頂きました。なにをかけるようかと考えていたら、この新聞の切り抜きのことを思い出しました。

私の頭の壁には、素っ気ないベニヤ板が一枚張り付けられている。そこに規則正しく何列もフックが並んでいて、一つ一つに巾着袋が引っ掛けてある。子供の頃着ていたブラウスやパジャマの生地で作った、小さな巾着だ。その袋の一つが本一冊分の記憶になっていて、好きな場面、登場人物、台詞などがビー玉の形になってしまわれている巾着袋の口さえ開けば、いつでも色とりどりのビー玉を取り出し、好きなだけ掌で転がしたり、頬ずりしたり、光にかざしたりできる・・・。私にとって本を読み返すとは、つまりこういう作業なのだ。

(毎日新聞の楽あれば苦あり 小川洋子より)

きのこのスープとクラクフの鶏の煮込み

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奇しくもアウシュビッツに行った日の夜はきのこスープでした。このパンに入ったきのこのスープは冬の厳しいポーランドの名物なんだそうです。アウシュビッツに行ったその夜に読もうとスーツケースに入れていた小川洋子さんの本「深き心の底より」の中のクラクフの鶏の煮込みを引用しますね、アウシュビッツに行ったその夜にこの部分を読んでコトンと眠りました。

「もの食う人びと」の中で辺見庸さんは、世界中に叫びたくなるほど美味しかった食べ物として、ポーランドの炭坑町カトウィツェの鉱員クラブで食べた、一杯のスープを挙げている。もし、あなたにとってのそれは何かと尋ねられたら、偶然だがやはり私も、同じポーランドで食べた鶏の煮込み料理と答えるだろう。 一九九四年の初夏、場所はポーランド南部の古都クラクフにある、名もないレストランだった。ちょうどサッカーのワールドカップの真っ最中で、その前に訪れたアムステルダムでもフランクフルトでも、町のあちこちに派手なポスターが貼ってあったが、クラクフにはそんな熱狂は届いていない様子だった。 私は編集者と友人の通訳の三人で、当てもなく中央市場広場のあたりをうろうろした。土産物屋には必ず琥珀か琥珀もどきの石が売られていた。聖マリア教会、織物会館、旧市庁舎など、古く美しい建物に囲まれた広場だった。くすんだ石畳に降り注ぐ光が、琥珀色に見えた。 私たちは広場からヴァヴェル城に続く小道に入り、ふっと目についたレストランで夕食を取ることに決めた。ドイツ語の達者な女主人が一人で切り盛りしている、薄暗くて小さな店だった。それがあることを自慢するかのように、コカコーラのタンクが一番目立つ場所にでんと置いてあった。 頼んだメニューを今でもはっきり憶えている。鶏の煮込みと、茹でたレタスのサラダと、粉砂糖のかかった揚げパンのようなデザートだった。 辺見さんがそのスープを世界一おいしいと感じたのは、炭坑で過酷な労働をしたあとだったからだ。私はアウシュビッツを見学したあとだった。 アウシュビッツからの帰りに食べた食事が一番だったというのは、不謹慎だろうか。その日私は、人間が為した最も残酷な行為の現場にいた。ユダヤ人から奪ったメガネの山、靴の山、髪の山を目のあたりにした。そして人間を焼くための焼却炉の前に、長い間立ちすくんでいた。それは人間が神さえも焼き殺そうとした焼却炉だった。 そんな日の夜は、食べる喜びなど味わえないくらいに打ちひしがれるのが、本当かもしれない。しかい私は違った。何の飾り気もない、ただスープで長い時間煮込んだだけの骨付き肉を、一口一口、ああなんて美味しいのだろうと、噛みしめながら食べた。 かつて味わったどんなおいしさとも異なっていた。生命の塊が、私の意志など届かない身体の奥で、熱く煮えたぎっているような、どんな力でもそれを消し去ることはできないのだと、自分で自分に証明してみせているような食欲だった。 私は骨に残ったわずかな肉さえ見逃さず、スープも一滴残らず飲み干し、デザートの皿に落ちた粉砂糖の粒まで、全部食べた。その間中、焼却炉の上を飛んでいた小鳥達たちのさえずりが、耳の底で響いていた。

死の門へと

ここも映画などで何度も見たことがあった鉄道引き込み線です、ただこれほどまでに大規模な収容所だとは思っていませんでした。140ヘクタールもあるそうで端はかすんでいます。この死の門があるのはアウシュビッツ第二収容所ビルケナウ収容所でアウシュビッツ第一収容所からは少し離れた所にあります。

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これがアウシュビッツで撮った最後の写真です、この窓の奥がガス室と焼却炉です。無意識に生の臭いのするもの、美しいものを探してしまうのかもしれません。帰ってきてから小川洋子さんの「アンネ・フランクをたずねて」の中のこんなことを書かれていた部分に正直ドキッとしました。

前回、アウシュビッツを去るとき、これを最後にしてはいけない、という予感がありました。そこは、いちど来て満足したり、分かったつもりになったりすることをけっして許さない場所です。機会があるごとに足を運ぶべき場所であり、その機会は努力して生み出さなければなりません。何度でもおとずれ、そこが変わらずにありのままの真実として残っている姿を、繰り返し確認する必要があるのです。

白雪姫

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この「おとぎ話の忘れ物」がきっかけでおであいすることができました樋上公実子さんが描かれた絵を買わせて頂きました。こんな風にきのこグッズの棚の上に飾らせてもらっています。今まで絵を美術館とかギャラリーとか改まったところでしか見たことがなかったのですが、自分が生活している日常の中で見られるってまさに日常と非日常が交錯するのです、こんな嬉しいことはありません。この絵のタイトルは「白雪姫」です、どうぞどうぞゆっくりご覧くださいね。それにしても素敵でしょう。

*樋上公実子さんの公式サイトでは他の作品(きのこの新作も!)ご覧になれます、こちらです。

おとぎ話の忘れ物のスワンキャンディー 

おとぎ話の忘れ物のスワンキャンディーを真似っこしてみました。スワンの入れ物は滋賀県の長浜の黒壁でみつけました。中は五個荘の冨来郁さんの”虹のしずく”というお菓子です、とってもきれいでしょう!
前回の記事はこちらです。ぜひご覧下さい。

*明日とってもワクワクする展覧会のおしらせをアップしますね。ヒントはおとぎ話の忘れ物です。お楽しみに〜!

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Where is the forest of Sonokinoko?

滋賀は長浜のお店(ツル レジェンド)で服を買ったら「もしかしてお好きじゃないかと思って・・・」とある古書店を紹介して下さいました。

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それがさざなみ古書店だったのです。きのこ文学作家である小川洋子さんの「薬指の標本」と「刺繍する少女」(両方ともハードカバーです!)を購入しました、それでお話させて頂いたらなんと九州より長浜に移住され古書店を開かれたのですって、よくぞ滋賀に来て下さったと、そしてこんな素敵な古書店を開いて下さるなんて!そして店主さんはそのきのこの憧れである川沿いのお家にお住まいなのです。これがまぁ〜素敵なこと素敵なこと。まるでお話の中に迷い込んでしまったような素敵な古書店です。
さざなみ古書店の店主さんのブログはこちらです!順番に読ませて頂くとこれまたお話のような展開です。

試験管は細身で、掌におさまるくらい小さく、口にはコルク栓がしてあった。そのコルクのところに、たぶん標本を依頼した人のものであろう名前と、他に数字やアルファベットをタイプしたシールが貼ってあった。
きのこは全部で三つだった。軸の先まで入れても数ミリくらいの大きさしかなく、かさは楕円形で、真ん中が赤血球のようにくぼんでいた。少しでも試験管を動かすと、それらはぶつかり合いながら、気ままに上下した。「薬指の標本」より

『深き心の底より』

小説を書いている時、私はいつでも過去の時間にたたずんでいる。昔の体験を思い出すという意味ではなく、自分がかつて存在したはずなのに今やその痕跡などはほとんど消えかけた、遠い時間のどこかに、物語の森は必ず茂っているのである。

キノコ最前線 おとぎ話の忘れ物

見てきました!見てきました!樋上公実子さんの描かれた白雪姫と7つのきのこなんともいえない白雪姫で、7人の小人ではなく7つの赤いきのこがそれはそれは素敵でした。

*樋上さんの描かれた素敵なアリスはこの本で見ることができます。

この白鳥もページがとっても大好きなのです!

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でねでねこの本の中に出てくるスワンキャンディーというのが大層素敵なのですが、実はそのきのここっそり白鳥グッズも集めているんです。
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これはえんぴつ削りです、下に敷いている七色のドットはもちろんスワンキャンディーを意識しています。20120706kinoko 005

白雪姫ときのこの関係についてはそのきのこも非常に関心持っているんです、どうぞ過去の記事(メルへェンはきのこでできているSNOW WHITE)を併せてお読み下さい。

物語を獲得するまでの苦悩

さて、これまで挙げてきたのは、苦しい現実を乗り越えるための物語という視点でしたが、少し見方を変えて、自分で作り上げた物語を悲しむ、ということについて考えてみたいと思います。
 同じくホロコースト文学から例を取りますと、ウィーン生まれのユダヤ人文学者ルート・クリューガーは、自らの収容所体験を描いた自伝『生きつづけるーホロコーストの記憶を問う』の中で、生き残った事実を心の闇として抱えている、その苦しみを告白しています。
 彼女は一九四四年五月、十二歳の時、母親と一緒にアウシュビッツへ移送されます。最初の選別の時、労働力にならない子供はすぐ殺されるため、歳を聞かれたら十五と答えるように母親から言い含められ、その通りにしてガス室送りを免れます。やがて冬が来て。ドイツの敗色が濃くなると、収容者たちはアウシュビッツから徒歩でドイツの収容所へと移動させられます。行進の最中、彼女と母親は監視の目を盗んで脱走。キリスト教の牧師さんに助けられ、偽の身分証明書を作ってもらい、ドイツ人難民に紛れてドイツへ向かいます。その途中、ユダヤ人の行進に出会います。
 それはついこの間まで苦悩をともにしていた人々の行進です。本当ならその中にいるべきなのに、自分は嘘をついてそこから抜け出した。命を守るために嘘をついてしまった。十二歳なのに、生きてきた年数の丸々四分の一を足して十五だと言った。偽の身分証明書でドイツ人に成りすました。自分たちはあの人たちを裏切ったのだ・・・・・。ルートリューガーは助かった喜びに浸るどころか、自分の嘘に苦しみます。
 十二歳の子供にとって、十五と歳を偽るのは途方もなく大きなごまかしだったのでしょうか。しかし、その一言のおかげで、彼女はガス室に送られずに済んだのです。偽の身分証明書にしても、何ら彼女に罪はありません。彼女は被害者であり、責められるべき人は他にちゃんと存在しているはずです。そして恐らく彼女も、理屈ではそう理解しているのでしょうが、心はなぜか、被害者が罪悪感を持つという複雑な様相を呈するのです。
 生き残った者としての”罪”というより、”借り”の意識。だれに借りているか分からないが、何か独特な形で、借りをしているような気分。加害者から取って死者にあげたいが、どうやったらいいのか分からない。死者は敬われる。生者はむしろ疎まれる・・・・・。と彼女は表現しています。
 ここで私はヴィクトール・フランクル『夜と霧』のあまりにも有名な一節を思い起こします。
 「最もよき人々は帰ってこなかった」
 私には彼らが、現実を無理矢理、受け入れがたい形に物語化しているように見えます。なぜわざわざ、自分が苦しむ形で現実をとらえようとするのか、考えれば考えるほど不可思議です。
 しかしこの複雑さもまた、先に述べた心の深遠さを証明していると言えるでしょう。自分は生き残って幸運だったと単純に喜べず、むしろ、どうして自分は生き残ったんだろう。という疑問に突き当たる。あの人もこの人も皆殺されたのに、自分がこうして生きているのは何故なんだ、と答えの出ない問いに自らを投げ掛け続ける。こうした心の動きは、人間の良心とつながっているように見えます。クリューガーやフランクルの抱える苦悩は、決して当たり前のことではない。自分とは、さまざまな犠牲の上に成り立つ、ほとんど奇跡と呼んでいい存在なのだ、という良心に基づいた物語を獲得するための苦悩なのではないでしょうか。(小川洋子著 物語の役割より)

在り間

Mushroom growing high from a tree

物語とはまさに、普通の意味では存在し得ないもの、人と人、人と物、場所と場所、時間と時間等々の間に隠れて、普段は見過ごされているものを表出される器ではないでしょうか。あいまいであることを許し、むしろ尊び、そこにこそ真実を見出そうとする。それが物語です。