きのこのスープとクラクフの鶏の煮込み

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奇しくもアウシュビッツに行った日の夜はきのこスープでした。このパンに入ったきのこのスープは冬の厳しいポーランドの名物なんだそうです。アウシュビッツに行ったその夜に読もうとスーツケースに入れていた小川洋子さんの本「深き心の底より」の中のクラクフの鶏の煮込みを引用しますね、アウシュビッツに行ったその夜にこの部分を読んでコトンと眠りました。

「もの食う人びと」の中で辺見庸さんは、世界中に叫びたくなるほど美味しかった食べ物として、ポーランドの炭坑町カトウィツェの鉱員クラブで食べた、一杯のスープを挙げている。もし、あなたにとってのそれは何かと尋ねられたら、偶然だがやはり私も、同じポーランドで食べた鶏の煮込み料理と答えるだろう。 一九九四年の初夏、場所はポーランド南部の古都クラクフにある、名もないレストランだった。ちょうどサッカーのワールドカップの真っ最中で、その前に訪れたアムステルダムでもフランクフルトでも、町のあちこちに派手なポスターが貼ってあったが、クラクフにはそんな熱狂は届いていない様子だった。 私は編集者と友人の通訳の三人で、当てもなく中央市場広場のあたりをうろうろした。土産物屋には必ず琥珀か琥珀もどきの石が売られていた。聖マリア教会、織物会館、旧市庁舎など、古く美しい建物に囲まれた広場だった。くすんだ石畳に降り注ぐ光が、琥珀色に見えた。 私たちは広場からヴァヴェル城に続く小道に入り、ふっと目についたレストランで夕食を取ることに決めた。ドイツ語の達者な女主人が一人で切り盛りしている、薄暗くて小さな店だった。それがあることを自慢するかのように、コカコーラのタンクが一番目立つ場所にでんと置いてあった。 頼んだメニューを今でもはっきり憶えている。鶏の煮込みと、茹でたレタスのサラダと、粉砂糖のかかった揚げパンのようなデザートだった。 辺見さんがそのスープを世界一おいしいと感じたのは、炭坑で過酷な労働をしたあとだったからだ。私はアウシュビッツを見学したあとだった。 アウシュビッツからの帰りに食べた食事が一番だったというのは、不謹慎だろうか。その日私は、人間が為した最も残酷な行為の現場にいた。ユダヤ人から奪ったメガネの山、靴の山、髪の山を目のあたりにした。そして人間を焼くための焼却炉の前に、長い間立ちすくんでいた。それは人間が神さえも焼き殺そうとした焼却炉だった。 そんな日の夜は、食べる喜びなど味わえないくらいに打ちひしがれるのが、本当かもしれない。しかい私は違った。何の飾り気もない、ただスープで長い時間煮込んだだけの骨付き肉を、一口一口、ああなんて美味しいのだろうと、噛みしめながら食べた。 かつて味わったどんなおいしさとも異なっていた。生命の塊が、私の意志など届かない身体の奥で、熱く煮えたぎっているような、どんな力でもそれを消し去ることはできないのだと、自分で自分に証明してみせているような食欲だった。 私は骨に残ったわずかな肉さえ見逃さず、スープも一滴残らず飲み干し、デザートの皿に落ちた粉砂糖の粒まで、全部食べた。その間中、焼却炉の上を飛んでいた小鳥達たちのさえずりが、耳の底で響いていた。