奇病日記

そのきのこさんから渡された地図通り洞の大木はあった。私が入るにはその木の洞は小さいようにも思われた。私は緊張していたようで神社の石畳を歩いてみた、石を三つとばしに踏む、そうやって幾度か繰り返し歩いているうちに緊張はとけていった。私はとうとう木の洞に入ってみることにした。洞の中は思ったよりも大きくて木にもたれていれば人に見られることはないだろう。私は妙な居心地のよさを感じはじめていた。’それ’ってなんだろう?そのきのこさんがいつだったか’それ’について話をした時、私は幼い日のある体験を思い出していた、今ではすっかり見かけなくなったが、模様の施された硝子戸を、朝の支度をしている家族の物音を聞きながら、その結露した硝子戸の植物の模様を、目でグルグルとなぞる、まるで大きな大きな透明の膜に包まれているような不思議でたわいもない体験だ、この体験はそのきのこさんのいう’それ’をなぜか連想させた。最近では「きのこ」と聞くだけで、えもいわれぬおもしろさがこみあげてくる、それは私の中の巧妙につくられたからくり箪笥の奇妙な扉が開いてしまう予感によるものらしい、きのこに選ばれし者たちが、きのこの森から出ないのは、きのこが次々にびっくり箱を開けるのでついつい遊んでしまうだけのことだ。きのこの森から出られないのではなくて、出るのを忘れてしまうだけのことなんだ。そんなことを考えているうちに木の枯れた匂いが鼻をついたので、急に我にかえり私はいっこうにあっちの世界へは行けそうにないのと、あまりの寒さにあっさり断念して店に戻ることにした。

閉店中の看板をかけたドアのガラス戸越にそのきのこさんが見えた。なんだか妙な違和感を感じた、そのきのこさんは右手でスプーンを使ってる、たしか左利きの筈なのに・・・そう思った頃、私が思い出していた、たわいもない体験の事を幼いころ「隙間の時間」と勝手に一人で呼んでいたことを思い出した。なにかがまたひとつ繋がったような気がした。

空は怖いようなねずみ色で、雪が降るという天気予報はどうやら本当のようだった。